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ニューエラ+1(ウーロンハイ、キャビンマイルド3箱)

ひと段落ついたので。

スペアが開店してから7年経ち祝うパーティーも終わった。切り口を変えた7周年のお話でも。

スペアに来るたびにタバコ3箱持って来る男がいた。タバコ置いてない店だし飲む途中で買いに歩くのもめんどくさいんだろう。頼む飲み物はウーロンハイ。濃くしてくれたら俺は嬉しいと言っていた。

彼とは小学生の頃、たまたま引っ越してきた場所が近くクラスが一緒だったというところから関係は始まる。近所なんでちょくちょく遊び、同じ少年野球チームに入り、彼はレギュラー先に入っていた俺は補欠とよくありがちな関係だった。

そのまま大人になり普通に生活をし、普通に太りながら年をとっていく関係はまだまだ続くのであろうタイミングで、それもちょうど一年前、いきなりこの世からいなくなった。この一件でわかったのは突然すぎる別れには若い、若くないということは関係ないということだ。一通りのコトが済み、携帯にその友達の親父さんからメールが来た。一言いや四文字で表現するなら『倍生きろ』と。

あれからずっと考えてる。時間的な倍なのか中身的な倍なのか彼が出来なかったことをやるのか。具体的に言うと生前彼はPS3のガンダム無双頑張ってたからそれを俺が頑張ればいいのか。そういうことではないのかもしれない。

見ることができないことを見せるような気持ちで、とか体験できなかったことを体験しているかのような説明するような気持ちで、とか多分そういうことか?多分それもなんかしっくりこない。人がいない分の穴埋めを人数が減った状態で気合いでカバーしよう、当然無理だ。野球を8人でやるようなものだ。野球を8人でやるならどのポジションを減らすか。あえてキャッチャーがいないというフォーメーションを推したい。ピッチャーはバッターに打ってもらえるように優しい投球になりバッターからの好感度が上がり、甲子園のファールばっかりするバッターのようなタイプの選手に対しては特にピッチャーは優しくなるし言うことがなくなる。

話がそれました。特別に何かをやるってことでなく日常をしっかりやることが色々な意味で倍生きることに繋がるんだとぼんやり思っていた。

そんな彼の墓に先日行ってきた。江ノ島にほど近い寺にあった。10:00集合のところ俺が滅多にしない遅刻をしてしまい10:30に到着した。俺のみ遅刻な上、気まずさと前日ステルスを店に呼んでライブを見た高揚感から気づいたら花代は俺が持つと無駄な男気を見せそんなことを言っていた。帰ってから少し後悔した。

墓に向かう途中、駄話をしながら別のことを考えていた。彼の告別式に行くとそのことを認めたことになると思って行かなかった位なので逃げの妄想をしていた。みんなで昼何を食おうかな、とか。今でもたまたまいない位には思っている。

墓の前についた。ここは由緒ある寺で門に水戸黄門の印籠と同じ家紋がある。すぐにみんなで掃除をし、花を飾り、時間としては15秒もないけど手を合わせこの一年何があったかを心の中で報告した。何があったかって言っても報告することは生きています、位だ。あとは個人的な楽しみ等、言えないこともちょくちょくあるのでその辺は省いた。よく見たらサントリーのウーロンハイの缶が置いてあった。タバコはさすがにあれだからか置いてなかったけど、色々あったけどあの時といつまでたっても変わんねえなとか思って手を合わせた。

みんなそれぞれが手を合わせて、その足で昼飯食いにレストランに向かった。席が3名と4名に分かれてしまうんですが、とオバちゃんから言われたので独身と既婚者で別れようと提案したら1vs6になってしまった。オーマイガッという英語が頭の中で始めて出てきた。使ったこと無いけど。37歳の日常。黙殺。味噌汁が200円追加でラーメンにかわります、シラスが云々かんぬん言われたけどまあなんでも良かったので雑なモノを頼み食べた。美味いけどその時の気持ちに沿うなら味がしなかった。

小さい頃からの友達は石の前で風になってキャビンマイルドの煙を感知しウーロンハイ飲んでるような漂い方して1年経ち現実世界にはいないけど、こうやって時は流れ、俺がやり始めたインチキっぽいバーも開店から7年経ってしまった。時間が流れていく中でどういう楔を打ち記憶にのこるような出来事を起こせるかということが重要になってきた。時間さえ経てばどんな事柄にも良し悪し関わらず結果は出る。その結果に抗う為に今は動いている。頭の中には常に親父さんからのメール倍生きるということが巡っている。時間は進む。俺も進んで自分の手で楔を打ち込み結果を出すような何かを動かす、自分や他人の気持ちを揺さぶる作業をしないと現実的な生死にとは関係なく終わってしまう。倍生きるってそういうことだと解釈している。ニュアンス難しいけど濃い薄いとはまた違う。人生が濃厚であることが必ずしも倍だとは思わない。薄さにも良さがある。

7年前いやもっとさかのぼると俺が件の彼と出会った時から、もしくは彼とお別れをしてからでもいいけど俺が認識する友達がその時より今の方が沢山増えたような感じがしている。ただ友達が増えてもその穴埋めは一生出来ない。代わりはいない。多くの人と出会い少しの人と揉めながら、数人は本当のお別れをしてしまった。俺が人と認識した人はずっとそのままあって欲しいけれど、なかなか思い通りに上手くいかない。

彼が存在しないこの1年間、俺にとっては新鮮な1年間であり、少し物足りない1年間であり、初めての1年間であった。なかなか叶わないけどネガティブな理由で気持ちのリセットすることはもう体感したくないな。6年間でいいか悪いか一区切り、その上で1年間が過ぎ足して7年経ったなという感じがする。
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コラム | トラックバック(0) | 2013/10/27 01:00