A RECORD SHOP WAS OPENED

個人的に思い入れがあるCDショップは2つある。ひとつは藤沢のタハラ、もうひとつは淵野辺のディスクユニオン。
就職した後、大学時代の友人ごっちゃんが相模原へ引っ越した。たしか相模原警察の裏、マックの裏だったっけ、とにかくそのあたりにアパート借りて住んでいて、2,3ヶ月に一回位のペースで休みが合うと遊びにいっていた。車で1時間、渋滞すると2時間。橋本五差路も今のような形になっていなく、とにかく車で16号は渋滞する。嫌になるくらいの長い移動時間をかけて彼の家に行き、お互いの好きなCDをただひたすらに流し、くだらない話をする。その後適当な飯屋に行き食事して渋滞しない時間を選び帰る、それだけのなんでもない休日(サービス業だったので平日休みだったけど)を過ごしていた。
彼の家に行く途中、国道沿いのでかいCDショップがあった。始めて行ったときはまだゲームコーナーとか高級オーディオコーナーとかあった気がする。なんとなく到着の時間を連絡してたものの、到着より30分くらい遅い時間を伝えそこでCDやレコードを漁っていた。雑然と広がるフロアは音楽の情報量が多く居心地がよかった。
黒と赤の袋にCDやレコードをパンパンに入れそこからあと少しのごっちゃんの家へ向かう。2,3枚のCD包装ビニールを破きちょっとづつ流し聞きしたところで到着する。家に上がりさも今のお勧めのごとくそれらCDを紹介する。今思うとなんて面倒くさいことをしてたんだと反省する。
買ったCDやレコードを肴にそこで何を話していたのかははっきりと覚えてない。20代前半から後半にかけての事なんで仕事やプライベートなことだったんだろうというような想像がつく。決定的な思い出は悲しいかな、ひとつもない。お互い仕事が大変だけど頑張ろうとかやってやるって的な若者の遠吠えのようなものをしていたはずだ。その時流していた音楽なんだっけ、と思い出したらこのころにサブライムにどっぱまりはじめベストやスタジオ盤やDVDを購入しそれに付随するハードコアパンクやレゲエ、ヒップホップを聞き始めたような気がする。いわゆるHM/HRやエアジャムにまつわる音楽から新しいものに興味が移り始めたタイミングだ。
ということで今の今を形成するにあたっての必要な心の貯金はこの辺りで作られた気がする。以前のサブライムの件でブログに書いた気もするが、学生時代やってたバンドをキッチリ卒業し、ベースしか聞いてなかった音楽の聴き方をやめ、他ジャンルに興味を持ちかつ良いものは良いなと素直に思える心はこの辺で生まれ、それを踏まえた思考を持つ僕の人格形成にも大きく影響した。その当時していた仕事から得たことは、、、あんまりない。しいて言えばお金くらいか。しばらくして当時勤めていた職場で異動になり、藤沢タハラの横で働くことになった時はCD屋にいつでも行けるという最高にいい労働環境だったからまあ何も無いわけじゃない、か。
というような形で友達の家に行く=CD屋に行くというものと直接リンクしていた。DEAD KENNEDYSやBAD BRAINSの12インチも、Slipnotの1stも、Beastie BoysのIll ComunicationもCheck Your Headも全部ここで買ったし未だに手元にある。Sublimeの1st、2nd、3rd、Jirassic5、Tommy Guerreroも、Beatles、ハイスタのAngry Fistの12インチ、Bob MarleyのLIVE、Gang Starr、Miles Davis、Sugar Rayの12インチ、Slipnot、Tokyo No.1 Soulsetのベスト、フィッシュマンズ、KRS-ONE、Cypress Hill、Ben Harper等々みんなココで買って未だに聞いている。

15日金曜日、淵野辺ディスクユニオンが17日を持って閉店するという情報を知り見送りに、そしてお世話になった気持ちを表しに向かい買い物をした。悲しくなるくらいに安かったこれら中古のCDやレコードは僕の手に渡った。淵野辺からディスクユニオンは無くなるかもしれないがハイエナのように漁ったこれらのモノがそこにあったこと、それが何かの機会で僕の手に渡り機会があれば店で流しこれらの曲が店のBGMとして流れる限り僕とココのディスクユニオンとの思い出は忘れないという関係が出来上がった、と思う。淵野辺店は終わるけど僕の中でのこの場所はまだまだ続く・・・
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