WHAT I GOT


SUBLIMEがやって来る!!!
1997年、伊勢原の友人宅、当時21歳。好きな音楽は洋楽HM/HRと当時ピークを迎えつつあったAIR JAMムーブメントに乗っかったバンドとSxExのバンドと完全に別枠でRHCP。今よりも20キロほど痩せていて、いつもベースを持って歩いていた。TKサウンドや渋谷系は嫌いでしょうがなかった。少人数で飲みながら(僕は当時から酒が弱いのでお茶等を)、お気に入りのバンドのCDを聞いていた。あるタイミングでG君(仮名)が取り出したCDを聞く。説明されたけど、当時の尖って頭が固い感性の持ち主の僕には響かなかった。
「ボーカル死んじゃってもう見れないんだって」そこだけ覚えている。そこしか覚えていないのかもしれない。と言いながら一年後ほど経ち、そのバンドのベスト盤を買った。
1999年、とある日。サラリーマンになっていた。心の底から休みが無かった。大学卒業までやっていたバンドからもスパッと足を洗い日々仕事に追われていた。入社と同時にRHCPにジョンが戻り通勤時にCALIFORNICATIONを繰り返し聞いていた記憶がある。あのアルバムの中表紙の円陣組んだ4人の写真が好きすぎてLPも取り寄せた気がする。よくわからないま仕事というか荒行していた感じだ。昼11時から朝5時まで。ミスがあると朝だろうが休みだろうが何時でもかまわず携帯に電話。携帯つながらないと家に電話。今でも熟睡中でもわずかな着信音、それがバイブだけであってもすぐ起きる。いやな癖がついた。
2000年、淵野辺、G君宅。お互いに平日休みだったので数人の友達と飲み会。お気に入りのCDを持ち寄って流しながら当時の俺の仕事はこうでこうだという面倒くさい話を僕が延々としていた記憶がある。基準が、売り上げが、トレーニングが。今思えば全部が小手先、全部が受け売り、全部が洗脳。宗教に入って帰って来れなくなった人のような語り口で一生懸命わかったようなことを語っていた。大人の入り口なんて全員そんなもの。
あるCDをG君が流した。「最近やっぱり良いんだよ」
その当時の僕の最近という点でヒットした。まずバンドを辞めて2年、楽器も触らず2年。バンドやってた時のベースしか聞こえない病がなくなり、音楽を音楽として楽しめるようになったこと。明確なジャンルわけを求め、それに沿ったもの以外を認めないような心の狭さがなくなったこと。一番のところはこのバンドのジャンルを決め付けることが難しかったこと。僕の当時音楽に求めていたもののすべてがこのバンドにあった。何をやっても、レゲエ、パンク、HIPHOP、ブルース、ロック、本当に全てそのバンド色に。ただ、そのバンドはもう無いこと、会社の有線で後継のバンドの来日公演終わっていたことも頭の片隅に残っていた。
飲み会も終わり、G君宅を後にし、家であのベストのCDを探す。それ以外のオリジナルアルバム、編集版、DVDを店で探す。ほかのジャンルの気持ちの良い音楽を探す。相変わらず12-5の生活は変わらず、休みも無いので主に通勤中、車で様々なジャンルの音楽を聞く。
2004年、藤沢の今は無きレコード屋。ハンズの横の職場に異動した。仕事は過去最高に悲惨を極めていた。しかし、一月に一回のポイントデー、僕のためにあるかのごとくCDを買い捲る。サーフロックコーナーやレゲエコーナーの充実(そのコーナーのバイヤーさん本当に勉強になりました、ありがとう)に充実感を覚える。しかし、何枚買っても足りない。足りないものは僕が見ることが出来ないあのバンドがもう無いということから来る。
はっきりと認識した。似ている=同じ、ではない。
2006年、バーを始めた。色々あって(気づいて)前述の会社は辞め、さらに転職したもうひとつの会社も辞めていた。洗脳も時間が経ってなくなっていた。今はお店にこういう感じ、という印象をそれぞれの人が持っているかもしれないが、当時は本当に何にも無かった。おしゃれなバーを「隠れ家」と称して立地が悪いことを気づかれないようにする経営者目線の言い換えがあるが、本当に色も無く、無駄に隠れていた隠れ家だった。ほとんど宗教施設のほこらだ。そんな時はSNSで知り合った地元の先輩方にお世話になりながら、先述のG君や地元の近い友達に頼りながら、自分の貯金を切り崩しながらなんとか営業していた。いろいろな意味で危なっかしい店だ(現在も)。
店を開くころにはHR/HMやHxCx等聞いていたニオイを完全に消しながら正直言うと、おしゃれなJAZZYなんちゃらを聞いているという感じにしたかった。ただそこに辿り着く流れ、過去聴いていた音楽も否定しないと。JAZZYなんちゃらを聞くきっかけになったのも、ジャンルの区別が付きづらいそのバンドを聞いて食わず嫌いはまずいと思ったからだ。結果良かった。最近でもその辺は好き。
そんな日々の中、幅広く音楽を聞くきっかけになったあのバンドへの思いは年々募るばかりで、海外の怪しいショップでそのバンドのポスターを仕入れ、トイレに貼った。トイレに入るたびに自分の初心を思い出すようにと。そして音楽好きが気づきますようにと。店に来られた人の中でポスターを見ていい反応してくれたHi-STANDARDの難波さんのソロバンドのギターや茅ヶ崎でバーを経営しているAKILAさんは間違いない人だと思っている。
2010年、ネットサーフィンしていたらあのバンドが復活していた記事を発見した。
http://curryandmusic.blog70.fc2.com/blog-entry-261.html
僕の周りの反応は正直薄かった。30台半ばになれば仕事も家族もやらなければならないことが増える。音楽聞いてイイネって言ってればいい問題ではない。そしてボーカルの死によりバンドは解散していて、次のバンドも、その次のバンドも解散していたからだ。ボーカル変わるなんてそれじゃない、という気持ちもわかる。RHCPのボーカルがアンソニーでないなら確かに違うとそれは思う。
Youtubeに上がっていたSMOKEOUT FESTIVALでの映像、特にそのボーカルに声質が似ているからとか体型がとか顔がとか雰囲気がとかそう言うのを超越して認められるような気がした。後々調べたら当時19歳、セッションから見つかったという情報を得て嬉々とした感情が芽生えた。
3枚目のアルバムでブラッドが死んで終わったバンドだと思う。今後は焼き増しみたいな新曲と昔の曲を織り交ぜて楽しいパーティー味わえたという位の感想しか沸かないのかもしれない。僕がDVDやYoutubeやCDなどで見ていた、聞いていたものはもう見れないのかもしれない。しかし、2011年には2011年なりのSUBLIMEがある、あったと言うことだけでも記憶に焼き付けたいからそこに向かう。あれから14年経った僕は変わらないし変われないと思うが。
要約して言うと、SUBLIME with ROMEの単独公演のチケットあたって嬉しいってことです。9月20日は死んでも(死にながら)休みます。すみません。
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